今回は、相続法が移り変わりについて、解説したいと思います。
相続法の歴史
民法の相続法は、今までに大きく8回変わってきています。一番大きい変更は、昭和22年5月2日まで続いた家制度が終わった時です。それまでは家族を「家(一族)」という単位で戸籍により管理していました。「○○家」「本家」「分家」のような言い方は、まさにこの家制度の名残りかもしれません。
終戦を迎え、日本国憲法が昭和21年11月3日に公布され、従来の「家」という考えから、「夫婦」という考えに変わり、戸籍が「家」単位ではなく「夫婦」単位に変わりました。
相続登記をする場合、相続法の移り変わりを理解していなくてはいけません。どの時期に亡くなられたかで適用する相続法が変わります。
また、旧民法の時代にあった制度「家督相続」では、不動産を取得した日と家督相続があった日によっては、相続財産の帰属先が全く違うことになります。そのため、相続法の歴史を知ることが重要になるのです。
- ⑧現在から平成25年9月5日
・非嫡出子と嫡出子の相続分が同じであると法律が改正
- ⑦平成25年9月4日から平成13年7月1日
・非嫡出子と嫡出子の相続分が同じであると裁判で認めらる
- ⑥平成13年6月30日から昭和56年1月1日
・非嫡出子の相続分は、嫡出子の半分と法律で定めらていた。
- ⑤昭和55年12月31日から昭和37年7月1日
・配偶者と子の相続人の場合、配偶者3分の1、子3分の2
・配偶者と両親が相続人の場合、配偶者2分の1、両親2分の1
・配偶者と兄弟姉妹が相続人の場合、配偶者3分の2、兄弟姉妹3分の1
・兄弟姉妹の代襲相続は、子と同じで無制限 - ④昭和37年6月30日から昭和23年1月1日
・第一位順位は、子ではなく直系卑属
・⑤と同じ - ③昭和22年12月31日から昭和22年5月3日
・半血の兄弟姉妹の相続分は全血の半分との規定がない
・兄弟姉妹の代襲相続に関する規定がない
・④と同じ - ②昭和22年5月2日から明治31年7月16日
・家制度があり、相続は家督相続、遺産相続に分かれていた
- ①明治31年7月15日から明治23年10月7日
・家督相続の事由が死亡と隠居だけだった
⑧現在から平成25年9月5日の相続法
現在の相続法です。この規定は皆さんにも馴染みのあるものだと思います。
⑦平成25年9月4日から平成13年7月1日の相続法
平成25年9月4日の裁判で、非嫡出子と嫡出子の相続分に差を設けていることは、憲法に違反するとされました。そのため、平成25年9月4日から平成13年7月1日までに開始した相続については、非嫡出子と嫡出子の相続分は同等とされました。※すでに遺産分割等が終了しているものは除かれます。
⑥平成13年6月30日から昭和56年1月1日の相続法
この期間の相続法では、非嫡出子と嫡出子の相続分については、同等だと認められていません。
⑤昭和55年12月31日から昭和37年7月1日の相続法
この期間の相続法では、配偶者と子、直系尊属、兄弟姉妹が相続人となった場合の相続分が大きく変わります。
④昭和37年6月30日から昭和23年1月1日の相続法
この期間の相続法では、第一順位が子ではなく直系卑属となっています。また、兄弟姉妹の代襲相続に関する規定がありません。
③昭和22年12月31日から昭和22年5月3日の相続法
この期間の相続法では、半血兄弟姉妹と全血兄弟姉妹の相続分は同等であり、兄弟姉妹の代襲相続は認められていませんでした。
この期間の相続法は「応急措置法」と呼びます。
②昭和22年5月2日から明治31年7月16日の相続法
家督相続(かとくそうぞく)
この期間の相続では、家督相続という制度がありました。家督相続は「戸主権」「財産権」を相続する制度です。この時代は、戸籍が「家」単位で管理されていました。家督相続では、「家」の存続を第一に考えていたため、様々な家督相続人が存在しました。
この期間の相続法は「旧民法」と呼びます。
遺産相続(いさんそうぞく)
遺産相続は「財産権」のみを相続する制度です。「戸主権」は相続されません。
①明治31年7月15日から明治23年10月7日の相続法
家督相続(かとくそうぞく)
この期間の相続も、家督相続という制度でした。ただ、家督相続が発生する事由が「死亡」「隠居」に限られていました。
この期間の相続法は「旧々民法」と呼びます。
遺産相続(いさんそうぞく)
この期間の遺産相続は、旧民法の家督相続とは違い、第3順位までしか認められていません。
最後に
いかがでしたか?相続法と一口に言っても、時代によりルールがかなり異なります。過去になくなられた方の相続の調査をする場合、相続法の歴史を理解する必要があります。
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